ブログ

豆知識や日々思うことを紹介しています。


2024年以前のブログ


他の先生方の報告を読み、「ほうろく灸」を体験したくなった。

静岡市内では見つけられず、藤枝の大慶寺様で体験させて頂いた。ほうろく皿の上に艾を置いて、頭の上に皿ごと乗せる。御祈祷の間、艾は燃え段々百会当たりが熱くなる。熱さの調節に頭と皿の間にタオルを置いた。

36年前、初産臨月で顔面神経麻痺を発症した私は、西洋医学に手後れと見放され鍼灸に出会った。あの最初の鍼灸師の先生は、大きな艾を百会に乗せられた。熱かったが治りたい一心で我慢した。数ヶ月後、美容院で驚かれた。頭頂部が綺麗に禿げていたそうだ。「ほうろく灸」はあの熱かったお灸と辛かった気持ちを思い出させてくれた。

不思議なことに、心労が重なりこの半年体調が良くなかったが、「ほうろく灸」翌日から身体が軽くなった。昔の人の知恵は素晴らしいと思う。私も早速「ほうろく皿」を購入した。これからのお灸教室に取り入れていきたい。

興味のある方は是非ご参加下さい。

尚、画像1は、浅草の長國寺様よりお借りしました。
  画像2は、藤枝の大慶寺様よりお借りしました。
  
  
72歳の元気な女性が来院された。趣味は市民プールで週2度レッスンを受けクロールと平泳ぎで思い切り泳ぐ事だと言われた。裏山の一画を借りて野菜作りに余念がない。2ヶ月ほど前から右手親指と人差し指の先がビリビリ痺れだした。整形外科を受信したが、脳などに異常はなくレントゲンも問題が無い。痛み止めが出たが効果が無く、初の鍼灸体験となった。カマで雑草を狩りすぎたせいだと言われる。筋肉質で艶のあるお身体で、脉も沈、遅、実。比較脉診では腎虚が診られた。やはり、健康を過信しての過活動、手指の使い過ぎからくる痺れと診た。東洋はりでの基本で施術を進め、最後にせんねん灸琵琶湖Aで全身、特に痺れ箇所などを温めた。
とても喜ばれ、毎週来院されている。琵琶湖Aが欲しいと言われ調べたが、現在販売されていない。自分用に予備に買っておいたものを販売した。他にも欲しい方がおられるので、販売再開をお願いしたい。
3回目の来院時、かなり前から緑内障の初期で眼科で定期検診を受けているとのこと。初診時の問診の言い忘れだそう。前日、眼科へ行って驚いたそうだ。視力が少し良くなり、視野が広く、何よりもの凄く明るいそうだ。
鍼灸って凄い。
先日、あるご夫婦がお灸教室に来られた。知人の勧めだそうです。あまり乗り気ではなさそうに見えた。プロジェクターでせんねん灸の説明をして、施術室で実際に体験していただいた。
「熱くないですね。気持ちいいですね。」と驚きの声が上がった。「僕はいいです。」と言っていたご主人も何度も自分で試されて、気持ちが良いと言われた。
お灸のイメージは、今だに「お灸を据える。熱い。やけど。野蛮。変人。」といったところだろうか?どんな偏見があろうとも、良いものは良いと感じる。それを少しでも広げていくのが、私たちサポーターの役目なのだと痛感した。因みに、ご夫婦はせんねん灸2箱と棒灸(琵琶湖B)をお買い上げになった。セルフケアされることを期待する。
長男家族の住むニュージーランドへ2ヶ月滞在。
数人の鍼灸師の先生に教えを請いました。
モクサアフリカについても学び、早速会員になりました。 以下が、作成したチラシです。 moxafrica (モクサアフリカ)とは
○ 2008年に2人のイギリス人鍼灸師によって設立されたイギリスのチャリティ団体
○ 重点活動
 1) 日本の直接灸(いわゆるお灸)が結核治療の補助的な役割をつとめえるのか
 2) お灸の普及活動
 3) お灸の普及活動をする団体・個人への支援
○ 日本、イギリス、アフリカ、そして世界を繋ぐもの
 1) 20世紀初頭の日本(約100年前) 昭和時代
  日本ではおよそ7人に1人が結核で死亡
 2) 21世紀の現在
   アフリカ、アジアを中心に結核感染者数、死亡者数の増加
  2008年 イギリスのチャリティ団体としてmoxafrica 発足
   結核治療としてのお灸ー結核を完治させるものではない
   結核治療には薬が必要不可欠ー副作用も大きい 関節痛 食欲減退
  お灸ー薬の副作用を劇的に和らげることが可能
   2016年ー臨床研究により、結核とHIV患者のお灸の効能として、 免疫力向上を証明
[お灸教室参加、鍼灸施術を受けられたの方のご感想]
先日、20年ほど前に、脳梗塞で大手術を受け、幸いにも後遺症が残らなかった80代の女性が来院された。元気なお一人暮らしだが、数ヶ月前から頭痛に悩まされているとのこと。頭の傷跡がかなり盛り上がり、硬くなっていた。首から肩へかけても違和感を訴えられた。毎朝、30分のwalkingをしておられる。前屈は問題ないが、後屈はほとんどいかない。足の冷えがややあり、足底に大きな魚の目が2つあった。頭の傷跡の周りに細い鍼を打っていった。首周りにも同様に鍼。背中を診るとやや歪みがあった。日常生活での姿勢バランスに問題があると感じた。 せんねん灸の棒灸ー琵琶湖A で頭の傷跡から足底まで温めた。 とても気持ちが良い温かさだと喜ばれた。
数日後、お電話をいただいた。 頭痛がきれいにとれたのでとても快適であること、せんねん灸の棒灸ー琵琶湖Aを購入したいとのことであった。
 お灸のイメージは、「お灸を据える」「熱い」「やけど」 だろうか?
どんな偏見があろうとも、良いものは良いと感じるものだ。それを少しでも広げていくのが、私たちサポーターの役目なのだと痛感している。
近くに住む女性は、夫を早く亡くされて、一人で息子さんを二人育てあげられた。趣味を持とうと考えた時、草花や野菜を太陽のもとで育てたいと思われたそうだ。だんだん借地が増えていき、ついに釜の使いすぎか右手の親指と人差し指の先が痺れるようになった。整形外科を受診してもレントゲン他に異常はなく、痛み止めと湿布が処方された。これでは良くならないと、当院を受診された。痺れは痛みと違い取れにくいと感じている。正直にお話をして、それでも鍼灸を受けてみたいと言われるので、微力ながら週に一度施術続けている。週に2回プールにも通っておられる70代だ。ツヤとはりがあるお肌に健康体である事を感じる。指の痺れは施術前が10だとすると、施術後は6〜7に減じると言われる。足裏が冷たくニンニク灸や生姜灸を使うと喜こばれる、棒灸琵琶湖Aも気に入られ購入された。自宅でもご自分でするのが日課だそうだ。
私がiPadを使っているのを見て、購入に付き合って欲しいと言われた。 今ではネットで好きな水着を購入するまでの腕前だ。
お灸って凄いなあと思う。身体だけでなく、気持ちも前向きにさせてくれる。今後とも微力ながら、自己研鑽に努めたいと思う。
ジムで水泳レッスンを始めて約1年が経った。現在中級で週4回泳いでいる。初級から中級へ、1000メートル位泳ぐ。ひたすら泳ぐ。80代、70代が中心なので64歳の私が弱音を吐くわけにいかない。首肩や腰膝が痛いという話がよく出る。私は鍼灸師であることを明かしていない。だたの新米後輩として接しっていただきたいからだ。水泳が上手くなって鍼灸の腕も上がったら明かそうと思っている。とにかく楽しい。水の中がこんなに楽しいなんて知らなかった。競泳のYouTubeを見て勉強中だ。12月にはニュージーランドにいる息子一家を訪ねる。孫二人と泳ぐのが今から楽しみだ。こっそり? 小児鍼を試したい。ニュージーランド人のお嫁さんに信頼してもらえるよう勉強していくつもりだ。間に合うだろうか? ご報告致します。
コロナがかなり収束に向かい、ニュージーランドに永住し歯科医院を経営する長男家族の手伝いに呼ばれた。昨年(令和4年12月-令和5年1月)から今年初めにかけニュージーランド人の彼の妻、2歳と4歳の孫との暮らしだった。文化の違いで戸惑うことは覚悟していたが、予想以上の物があった。4歳男児の孫の言葉の伸びや理解力は著しく、2歳女児の日々の変化にも目を見張った。そして、今回5/8〜5/29まで彼らが来日し、私がお世話役として同行した。祖母とは、親より責任が軽いようで怪我をさせてはいけないと気を遣ってばかりだった。東京、名古屋、奈良と西へ向かい大阪方面を予定していたが、孫たちが途中参加の祖父(私の夫)にどうしても会いたいと行き先を静岡に変更した。大慌てで夫は迎える準備をしたようだ。そんな中、長男に鍼灸施術を頼まれた。彼の妻や私の夫が見守る中、鍼とお灸で施術した。最後に棒級琵琶湖Aを使用した。翌日、息子は夫に「楽になった」と言ったそうだ。今年65歳になる。鍼灸の勉強は奥が深い。太極拳も講師資格を取ろうとレッスンを受けている。ピックで引けて指を痛めない大正琴も趣味である。2人の孫が成長した時、鍼灸施術を依頼されたいと夢見ている。
孫が2歳になった。我が息子が父親。母親はニュージーランド人。南島のアレクサンドラという所で暮らしている。元気な男の子だ。よく食べる。2020年1月、彼が1歳の頃はその地で会っていた。コロナが全てを変えてしまった。彼ら3人の日本訪問もキャンセル。あーあ! 彼はどんどん大きくなる。Facetimeの画面越しに「バーバ」と言うようになった。白米が好きだそうだ。その上、梅干しを丸かぶりする。父親の真似をして舐めたらしい。すぐ吐き出すかと思ったら、もっととせがんだ。遺伝子かなあ?ニュージーランド生まれの孫はこれからどんな美味しいを見つけていくのだろうか?楽しみだ!コロナよ、どうか鎮まってください。皆待ち望んでいます。
嫁いびりに耐え、義父母と夫に仕えた母。
愚痴るのは長女の私でした。 
戦争で父と上の姉を亡くし、兄と3人の姉。
空襲で亡くした長女を探し続けた私の祖母。
母は勉強が好きだったそうですが、高校へ行かせてもらうのがやっとで銀行勤め。
浪費癖が酷かった柔道家で高校体育教師の夫ー 私の父 「お金がないと我慢するしかない」 と聞かされて、私は何とか一人で生きていけるようになろうと、取れるだけの免許を必死で勉強して取ったように思います。

なんか今考えると可哀想ですがー自分が 滑稽でもあります。若い頃は見えていなかったものが多かったです。
今も見えておらず、見えなくなっていきそうです。
今年1月に10日程、ニュージーランドの長男家族宅に滞在した。
毎年クリスマスから新年にかけて訪問している。3年前、長男夫妻の仕事が多忙になり、下の9ヶ月の女の子を見て欲しいと頼まれた。上には3歳間近の男の子がいる。
11月頃から1月終わりまで3ヶ月の戦いだった。まあ、孫は可愛いが、怪我をさせられないという戦いだ。
もう一つは、海外に出る度に悩んできたウォシュレット問題である。3ヶ月は長い。 以下のようなものを購入した。


しかし、3年使うと今回水漏れが目立った。

新しいものを買おうと検索したり、家電量販店に相談したりしてみた。

まずは、電池で動くものから調べた。
TOTOいう老舗商品。
ペットボトルには付かないようだ。



次は、充電式、尚且つペットボトルに付け替えられるものである。


※ここまでの写真は、Amazonの当該製品のページの画面である。

最後は100均で見つけた。
凄い国だと感心した。
ダイソーさんはもう作らないそうだ。理由はわからない。
他の100均でも発見した。
旅行用品だったり、介護用品(赤ちゃんのオムツ変えも含む)だったりする。ペットボトルにつけるタイプである。



高いものは色々な特徴があるようだ。
軽くて使いやすければ、お安い物が私は好きだ。
随分調べて、長い宿題をやっと終えた気分である。

補足ー100均のものは、ニュージーランドから持ち帰ったペットボトルに装着できた。
昨日、一週間ぶりに息子からFACETIMEで連絡があった。彼は十三歳でニュージーランドへ留学し、そのまま勉学を続けて仕事を持った。永住権が取れた頃、現地女性と結婚し、子供が誕生した。私たち夫婦にとっては初孫である。NICO〈ニコ〉という男の子だ。先月二歳になった。一歳の誕生日は会いに行けたのに、このコロナ禍では次にいつ会えるだろうか。画面の向こうで「バーバー」と呼んでいる。日本語も少し覚えだした。昨日は、お気に入りの車のおもちゃや愛犬の餌やりを見せてくれた。大好きなお母さんはもうすぐ二人目の赤ちゃんが生まれる。医師の許可が下りて運動してよいそうだ。バイクマシーンで足を動かしている。「マミイ、ノウ モア」とニコが言った。ダンプカーに小型車を積んで遊んでいたので「これ以上車はないの?」と聞いたのかと思った。息子に確かめると、「Mammy. bike no more」だという。「お母さん、まだ自転車乗るの、終わって遊んで。」という要求らしい。日々成長している。会いたいなあと思う。平穏な日常が早く戻ることを心から願う。
ジムの先生交代で、新プログラム U-JAM が生まれた。
本日2回目の参加。
確かにズンバとどこか違う。
調べることにした。

U-JAM:ヒップホップフレーバーの米国西海岸発祥のダンスフィットネス。 ダンスをしながら時々筋トレにもなったり、みんなで楽しめる有酸素運動です。

Youtube よりU-JAMダンス?の様子 
https://youtu.be/DSBB96IwWj8?si=OD66PHMr7Fii4GfS

ズンバ(ZUMBA)は、ラテン系の音楽とダンスを組み合わせたフィットネスエクササイズです。コロンビアのダンサー兼振付師であるアルベルト・ベト・ペレスによって考案されました。
【特徴】
  • 速いリズムと遅いリズムの曲を組み合わせたインターバルトレーニング形式のワークアウト
  • 多くのカロリーを消費するため、脂肪燃焼に効果的
  • 心肺機能と筋力を鍛える
  • シェイプアップ効果が高い
  • ストレス解消効果がある
  • 血行促進効果がある
  • ダンスの経験や特別な知識は不要
Youtube より ズンバダンス?の様子 
https://youtu.be/N1zTPfkM7f8

ズンバはラテン系、 U-JAM はアメリカ発祥 ということらしい。インストラクターによって、同じ曲でも振り付けは結構違うように思う。慣れないせいか、私にはU-JAM の方が運動量が高く?感じる。 どちらもとても楽しい
藤田花音は公立高校の英語科教諭である。英語が好きで教員になったが、受験産業の手下のような学校組織の中で次第にストレスを抱え込み子育ての忙しさも重なって、四十歳半ばより体調を崩し始めた。公務員は毎年「健康診断」が義務付けられている。若い頃は、朝食事が取れないとか、バリウムの後の下剤が効いて授業にならないとか愚痴や不満を口にしていた。丁度、自身の転勤と子供が小学校入学、幼稚園入園が重なった年だった。疲れた身体に鞭打って台所仕事をしていると背中に激痛が走った。しばらく休むと収まる。特に空腹時に痛むことが多かった。夫に背中を押してもらったり揉んでもらったりすることが増えた。何か嫌な予感がしていた。本当に偶然にその痛みがひどい時に学校で健康診断があり、バリウムを飲んだ。技師の方が、「ちょっとこれはひどい状態なので、再度バリウムを飲むのが決まりですが、すぐ胃カメラをやった方がいいですよ。」と言われた。胃カメラの経験などなく何故か恐ろしかった。「癌」という言葉が浮かんだ。紹介された医師会で予約を入れカメラに臨んだ。年配の温厚そうな先生だ。あの頃のカメラは喉麻酔で患者がカメラの映像を見ることができた。食道から胃へとカメラは進む。
「あっ、これはひどいな。」
という先生の声が聞こえた。思わず出た言葉のようだった。目の前には真っ赤なザクロが裂けたような映像が映っている。血が噴き出しているようにも見える。相当大きい傷にも見える。ショックだった。
「私は死ぬのだろうか。子供たちはどうなるのだろうか。」
そんな思いが脳裏をよぎった。
「十二指腸は大丈夫だな。」
再びの先生の声だ。感情が消え去ったような時間だった。管を抜いて検査は終わった。
「ひどい胃潰瘍ですね。検体を取ったので一応生研に出します。」
「癌かもしれないと言うことですか。」
花音は少し落ち着きを取り戻してそう尋ねた。
「わからないですが、結果を待ちましょう。胃潰瘍は今特効薬が出ているので処方します。綺麗に治ると思いますよ。ただ再発が多いのでストレスは出来るだけ減らす方がいいんですがね。」
「先生、それは無理です。職場も家庭もストレスしかありません。」
「ウーンねえ、色々考えても仕方ないでしょう。」
先生の言葉はもっともだと思ったが、それは無理だと反発も大きく感じた。兎に角、薬を頂いてできるだけストレスを減らそうと努力した。それがまたストレスになった。結局、生研の結果、癌ではないことが分かり、胃潰瘍も約一カ月で快方に向かった。
 ただこれは胃カメラと胃潰瘍との闘いの始まりだった。一度検査で引っかかると、バリウムを飲んでも精密検査に回される。結局は胃カメラなのだ。だから最初から胃カメラを飲むことにした。そして何度も胃潰瘍を繰り返すことになった。一年に一度の年中行事が胃カメラのようだった。四十半ばというのは仕事も育児も多忙で、肉体的にも衰えが目立ち始めるころなのだろう。ぎっくり腰も繰り返した。声帯に結節ができて切除手術も受けた。ポリープも数回切除した。花音はいつ死んでもおかしくないような気分になっていった。
 月日は流れ、闘いの日々が終わろうとしている五十代最後の検診だった。
「胃低部にポッコリ山のように見えるところがあるので生研に回します。多分大丈夫だと思うけどね。」
女医さんは淡々と説明された。
「いつものことだ。大丈夫だろう。」
そんな気分だった。一週間後結果を聞きに出かけた。
「えーとね。ごく初期の癌細胞が見つかりました。紹介状書くから大きな病院出来るだけ早くいってください。」
「先生、死ぬんだったら正直に教えてください。すぐ仕事辞めてやりたいことあるんです。」
気が動転して早口で女医さんに尋ねた。
「大丈夫、死なないから仕事も辞めないでいいですよ。」
あまり笑顔のない先生は平静さを保つかのようにそう言われた。
 年末の最後の診察に飛び込んで早速年明けの手術の日が決まった。内視鏡で取れるだけ取るらしい。同意書の山だった。職場に診断書を出したが、問題を起こした先生の尻ぬぐいをする人がなく、それまで以上の多忙さの中で手術を迎えた。結果は生研時に癌細胞が切除されていて、何も癌らしきものがなかったそうだ。三十三年間の永続勤務のご褒美は「癌」が無くなったことかもしれない。